写真展「あわせ鏡」所感
明らかに4つの光がそこには存在するのだが、それは3つを分けあった光。そしてそれがまじわり一つの空間になる。
Twitterで仲良くさせていただいている4人の写真展を観てきた。
展覧会名は「あわせ鏡」。
4人の作品は、以前からサイトなどを拝見していたので、前段階としてのイメージは持っていた。それぞれ違う4人のプロットが同じギャラリー内でどのように一つになるのか。
ギャラリーに入るや否や、眼前にモノクロ左右にカラーの写真を感じる。4つの壁、その一辺ごとに一人づつの写真が展示されている。順路正順に観ていくと、まず朝弘さんの写真群。キャビネ(もしくは2Lだったか)の写真が幾枚も並んでいる。ある一群は海の写真、ある一群は桜の写真、散らばったり、まとまったり。近くでも見たが、これが照明の角度のせいか反射が気になった。少し距離を置くとイメージは変化し、さきほどの写真が星団や星雲のように、一面がまるで宇宙と化す。悩まず配置したという言葉を伺い、空間使いのうまさを感じた。そして、その一枚一枚が被写体の向こう側を感じるのだ。まるで朝弘さんには、撮影時にアナザーワールドが見えているかのよう。ふぅとため息の出るような不思議な感覚だった。
次の壁はますなりさんの作品。
手焼きの人物像は、どの作品もこちらを向いている。じわじわとした力強さを感じるのはなぜか、何回か行き来する間に、被写体の彼らがボクを見ていることに気付く。それはボクを見ているのではなく、撮影者のますなりさんを見る目でこちらを見ている。急に被写体の中へと引き寄せられる感覚。距離感が縮む。一瞬を閉じこめた写真は、写真の手前の一瞬も止めていたのだ。
心落ち着いたところで黒耳堂さんの写真たちへと。2枚を1組として額装された10枚の写真は、蔦や露草の写真ばかり。左右に若い緑と枯れた錆のような蔦を配置し、順路に添わせた時系列の流れは、日本画の見せ方のようだった。自然と偶然の出会いを計算して一枚に仕上げている。丁寧に、丁寧に。ここで気付く、背後の朝弘さんの作品との差異。一枚一枚の大きさ、そして配置、被写体の切り取り方の違い。
最後に(ク)ニヒトさんのゾーン。
モデルは一人、シチュエーションはそれぞれ、本を読んでいるというつながり。淡い光の中で、正確に計算された写真たち。どれを見ても成り立ち、全体をみても成り立つ。時間の流れはゆっくり進み、光も移動しているかのような錯覚に陥る。ここでも気付く、まわりの視線。それはほかの写真からの視線。うしろを振り返るとますなりさんの写真がこちらを見ている。街で偶然会った人の視線の先には、(ク)ニヒトさんの写真のモデル(同一人物)。左右からカラーの写真の気配がする。
そうかこれが鏡だったのか。
ボクの位置で鏡はそれぞれ表情を変え、写し出すことで世界をつくりあげる。鏡は奥行き、つまり自らの内面で鏡像を形成する。それぞれの写真に対するアンチではないのだ。その中に自分が立つと、反射を繰り返した光がひとつの空間でまとまっている。すべてが違う光ではない、光の三原則で言うなら、青、赤、緑の3つを4人がそれぞれ分け持っていて、それがひとつに成っているだけなのだ。補色を補いつつまとまった光束となる様は、心のどこかで羨ましくあった。
ひとつだけ不満があるとすれば、会場中央に設置してあった机。
会場の都合上仕方なかったが、ない方がよかったように思う。
あの空間の中心で4辺からの光を感じることができなかったのは残念だ。
さてと、彼らの展示は今回だけだとは思えないので、勝手に楽しみにしておこう。
時が過ぎれば鏡に映るものも変わっていくことは自然なことで、また、鏡のこちらの時間も進んでいくのだから。
→あわせ鏡
http://www.awasekagami.com/
- 2010-02-03 (水) 6:59
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