ダカフェ日記
size:188 × 155mm
撮影:森友治
発行:ホーム社
発売;集英社
言わずもがなのサイト、dacafe photographのブログ“ダカフェ日記”が一冊の本になりました。
森さんが撮影された温かい家族の写真と、
クスリ笑ってしまう、一枚一枚につけられたキャプション。
帯に書いてある「しあわせって、きっとこういうこと」、ページをめくるたびにそんなささやかな幸せに包まれます。お子さんが生まれる前から、海ちゃん、空くん、と家族が増えていく様子が優しく積み重ねられた日々と共にしっかりと記録されています。
巻末には、よくダカフェ日記に“ヨメ”と書かれて撮られている森ご夫人によるダカフェ裏話も。
ボクもとても好きなダカフェさん。
また続編が出ればいいなぁと思うのだった。
さて、ボクも実は写真を撮ることが好きなのです。
まぁ、長くこのブログをご覧いただいているかたはご存知かと。
ボクが自分の意志で写真をちゃんと撮ったのは、小学生くらいの時の家族旅行かな。
そこからわけも分からず、とっきどき撮影していたように思う。
高校生の時には、使い捨てカメラをよくカバンに忍ばせて、学校内でカシカシと軽い音をたてたり、帰りに大きな虹を見つけて帰る方向じゃないのに追いかけてカシカシ撮ったりしてました。
シャッタースピードがどうのとか、絞りがどうのとかはその後。
大学時代くらいからでしょうか。
同時にロモに出逢い、ノーファインダーやトイカメラの世界もかじりました。
以前も書いたことがあるんだけれど、自分の色が見つからないのです。
こうしたらこう撮れるとか、そんなことは分かっているのです。
ただ、あがった写真に納得がいかない。
そこには写そうと思ったモノは写っていても、なにかが違う。
それがその頃の写真でした。
これも前に書いたかな。違う過去のブログだっけか。
はっとする写真に出逢った時に、それまでの自分が崩れ去りました。
同じような構図で、同じ被写体を前にしても、
ボクの写真が流れる水をコップですくい取ったものだとすると、
その人の写真は両手でやさしくくみ取ったといった感じなのです。
写真に瞬間を閉じ込めているボクに対し、写真の中に時間の流れが見えるのです。
それから少しボクの写真が変わった気がします。
到達点(自分の色)は見えなくても、向かうべき方向はなんとなく。
ずっと出逢わないかもしれない、そんなはっとする写真。
出逢えたボクはとても幸せモノなのです。
そんな写真を撮れる人と同時代に生きていられるということも。
そして今日も写真を撮ろうと思う。
→ダカフェ日記
http://dacafe.petit.cc/
- 2007-07-14 (土) 9:09
- Books
◇関連するエントリー
- 1つ新しい記事 : 象の背中
- 1つ古い記事 : memo-14/07/2007